“らしさ”という病-内田良先生のお話より
2021年 03月 22日
3月20日は青法人権交流集会「理不尽な校則NO!〜人権の視点で子どもを取り巻く環境を考える〜」に参加しました。
基調講演は「”らしさ”という病ー学校のルール変革の時ー」。名古屋大学大学院・教育社会学准教授、内田良先生のご登壇でした。御著『ブラック校則』など拝読し、ずっとリアルでお話を聴きたかった方でした。オンラインもありましたが、この日はぜひ、会場参加したかったのでした。
つい今の今まで、講演用資料を作成していたとおっしゃった内田先生。それほど「校則」をめぐる問題は日々、尽きることがありません。体操服の下の下着着用禁止や、下着の色まで決める、そんな校則、いわゆる「ブラック校則」がなぜ存在しているのか、その何が問題なのか、じっくりお話していただきました。
この校則問題、実は人権侵害という視点から考えると憲法違反の可能性がある、ということは先日「子どもの樹ネットワーク福岡」のオンラインセミナーで後藤富和弁護士もご指摘されていました。こんな大きな問題を抱えていながらなぜ校則は変わろうとしないのでしょうか。
いや、最近の校則は以前に比べるとかなり緩くなっていますよ、そういう声も上がります。その「以前」とは1980年代〜90年代前半。学校が非行系の生徒で荒れた時代です。その攻撃性に抗するため校則は抑圧的になりました。そのイメージが強烈なため、現行の校則の自由度が高まっている印象をもたれがちですが、実際は違うと内田先生はおっしゃいます。2000年以降の校則は、違反をしていない生徒たちに対してまでも、その個性の隅々まで抑圧するような傾向があるとのご報告に、「下着の色」「地毛証明書」「スカート丈」問題の理不尽さについて得心がいったのでした。
さらに問題なのは、この校則の理不尽さに、学校の先生自身は気づいていない、もしくはおかしいと思っても声を上げられないということ。内田先生の調査で明らかになったのは、こうした異常なまでに細分化された校則の背景には、社会の学校依存体質が引き起こす、教員の過重労働があります。子どもの問題行動(それも取るに足らないようなこと)の責任の所在が、家庭ではなく学校にある現実。子どもたちが問題を起こさないよう、予防的措置として決まりを作っていくと、結果「ブラック校則」が出来上がり、生徒も保護者も教員も、その細かな規則に疲弊するという、負のスパイラル。
しかもここに「悪意」はありません。教員は「子どもたちを守るため」に、「子どもたちのために良かれと思って」、結果的に校則による人権侵害をしてしまっているのです。
こう考えると、「ブラック校則」成立の因の一端は私たちにもあることがわかります。学校に全てを背負わせないこと。教員の長時間労働を当然と思わないこと。学校側も、いじめ問題など、場合によっては司直の介入を容認すること。まず教育現場が広く社会に開かれたものになっていくことが大切なのだと思いました。
私は以前から、内田先生の個性的な出で立ちが大好きでした。今は暗めの赤を入れた髪色が美しい内田先生ですが、たしか二年前は金色でした。こんな感じの髪色は内田先生の白皙のご容貌によく似合って素敵だなあと思います。でもおそらく一方では、「大学の、しかも教育を考える先生があんな格好して……」、そう言われることもおありだったでしょう。でもそれは織り込み済みなんですよね。
この日のご講演のタイトル、「”らしさ”という病」、その”らしさ”に対するアンチテーゼとして内田先生のファッションはあるのだと思います。
”らしさ”ってなんですか?
「先生らしさ」が先生を苦しめています・
「中学生らしさ」「高校生らしさ」が子どもたちを苦しめています。
集団の”らしさ”ではなく「自分らしさ」でいいのではないか。
みんなが不利益を被るルールから自由になろう。
「世論が校則を変えていく」、「学校に市民社会のルールを届ける」、私たちがそんな社会を作りましょう。
内田先生のこのお言葉、胸に刻みました。
私たちは無力ではないのです。
内田先生、ありがとうございました。
ご紹介いただいた後藤弁護士、感謝いたします。
さなトラ 藤野早苗
*第二部トークセッションはまた後日。
だってね、もったいないんですよ、一回でお伝えするのが。
それほど今回の人権交流会、深かったんです。