あなたはあなたのままでいい〜笑顔と絆のスクラムPart6から
2020年 01月 16日
後半は、ピアノミニ演奏会&講演会。野田あすかさんとお父様の福徳(よしのり)さん。講演タイトルは「発達障がいの娘との30年」。
お父様のお話の後、あすかさんのミニ演奏会。
とてもとても可愛らしい女性、笑顔が素敵なあすかさん。すっと瞑想してから演奏に入る時、「発達障害の女の子」から「ピアニスト」に変わります。
会場の音響設備はお世辞にも良いとは言えなかったのですが、それでも、優しいやさしい空気が生まれるのがわかりました。
ご自身が作詞作曲した「手紙〜小さい頃の私へ〜」の歌は胸をえぐられるようでした。もうこのあたりでは私はハンカチで顔を覆う状態…
練習を始めたばかりなのでショートバージョンね、と演奏した「パプリカ」では客席で小さなお子さんたちが立ち上がって躍っていました。
笑顔になれて、涙をこぼして、なんという素敵な時間だったことか。
1982年生まれのあすかさん。彼女が育った時代、「発達障がい」という言葉を一般人が日本で聞くことはほとんどありませんでした。知的には問題なく、むしろ学業では優等生だったあすかさんは「変わった子」で済まされていました。しかし、本人は「なぜ周りとうまくいかないの?」とずっと苦しんできたのでした。
ひどいいじめに遭い、解離性障害を発症し、パニックを起こして大怪我をして、右脚が不自由になりました。
文で書いてあるとさらりと読み流してしまいますが、あすかさん、ご家族の苦悩がどれほどであったのか…お父様の淡々とした語りを聴きながら涙があふれて止まりませんでした。
22歳の時に、広汎性発達障害(現在の呼称は自閉スペクトラム症)と診断されます。ご両親は、「治るものではないのだ」とショックを受けたそうです。しかしあすかさんは、「自分が周りと違う」ことが「自分の努力不足」からではなかったのだとわかってほっとしたと言います。
「あなたはあなたのままでいい」と言ってくださったピアノの先生の言葉、あすかさんはピアノが自分の「こころのおと」を出してくれると気づいたこと…幼い頃から弾いていたピアノが彼女にとって大きな支えとなっていきました。
あすかさんは、様々なピアノコンクールで受賞し、その後発達障害であることを公表して、リサイタルを開くようになりました。
これまで筆舌に尽くしがたい苦しみがあった、今でも発達障害の二次障害である解離性障害、右脚が不自由、左耳感音障害などがあります。
そんなあすかさんがリサイタルを開くのは、「今苦しんでいる人」や「将来に不安がある人」が自分のピアノを聴いて「これからも生きて行こう」「またがんばろう」と思ってほしいから。
あすかさん、あなたの想いは会場の人々みんなにしっかり届いています。ありがとう。
「あなたはあなたのままでいいよ」「周りを見てごらん、あなたを助けてくれる人はたくさんいるよ」
親子で書かれた本『発達障害のピアニストからの手紙〜どうして、まわりとうまくいかないの〜』を購入して、翌日読みました。
ご両親が包み隠さず、自分たちの子育てや思いを書かれていました。「娘との30年」は、私の想像をはるかに超えた、親子の葛藤の年月でした。お父様のお話だけでも心打たれましたが、それは本に書かれているほんの一部だけなのでした。
親として、我が子のために良かれと思って、愛情をたっぷり注いで育ててきたけれど、それが実は我が子を苦しめていた…そんなつらい現実に向き合って、そこから今、前を向いて進まれています。
この本を著すことは、ご両親にとってとてもとてもつらいことだったと思います。そこに向き合われた勇気と娘への愛。打ちのめされました。
親として、障害のあるなしに関わらず、子どものためにすべきことは何なのか、メッセージが刺さります。
子どものありのままを受け入れること。子どものために未来を考えていくこと。
あすかさんが自分の気持ちを書いた文章もあります。今、お子さんとの関わりで悩んでいる方、ぜひ読んでいただくとよいと思います。
あすかさんは高校を途中で転校されたそうなのですが、そのくだりを読んでいて「あっ」と思うことがありました。
転校先の高校は、おそらく私の父がその頃勤務していた私立高校ではないかと。もしかすると担任だったかもしれない…(私の父は既に亡くなっているので父には聞けないのですが)もしそうなら、なにかのご縁かもしれないなあ、と思います。
あすかさんのピアノ、また聴きに行きたいです。
しょこトラ 水元晶子