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父と私~書道展を終えて~



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数日前書きました書道展の話は、もう少し続きます。



お盆の中日814日、私の両親のもとに子ども家族が集まりました。両親と、弟二人に私、の家族メンバー。私の上の息子は1週間ほど前でしたか、わずかに寝るためだけに帰ってきた日がありましたが、お盆は忙しそうです。いません。弟の娘たちも遠い町で大学生になり、それぞれに忙しそう。やっぱり帰っていないそうです。以前は正月とお盆は集まって揃っていたものでしたが、大きくなった子どもたちが巣立ちの時期を迎えています。時間が経ったのだなあと思います。



書道展には両親が来てくれたものですから、食事の際にお礼を言いました。もうすぐ87歳になる父は、1年半ほど前に少し大きな病気をして以来、まだ恢復途上にあり外出もままならないのですが、病院の帰りに母とともに美術館に寄ってくれたのでした。

私の作品の写真を何枚も撮ったのを、嬉しそうに見せてくれました。

多分両親、特に父は喜ぶだろう。そう思っていたので、予想通りでありがたいことでした。



父は私を可愛がろうとしたと思いますが、彼自身が軍隊の時代に育ったことが関係してか、体罰を厭いませんでした。私が至らない時もあったとは思いますが、父が酔って突然怒り出し殴るような時は理不尽さだけが募り、それは今も時々鮮明に思い出されては苦しい気持ちになるのが止まりません。



書道は、私の悪筆に危機感を覚えた両親、ことに父が厳しい態度で監督しようとしたのでした。両親は書を得意としていたので、余計にわが子の出来なさを悲しんだのでしょうが、それが嫌で私は逃げ回りました。書道だけでなく、数学や英語のような学習面も、服装や生活全般の規律も、趣味についてさえも厳しい介入がありました。摩擦ばかりの日々で、それは私が大人になっても、子どもを産んでも変わらず、実家から私の足が遠のくこともしばしばでした。

尤も書に関しては、彼らは定年退職後、家の一室をアトリエにして打ち込んだほど。意識レベルの差が私とでは天と地ほどにあるとは、あとになってからつくづく思ったことでした。



2人目の子どもを授かったとき、ふと、やり直せることはやっていこうと思いつきました。書道も4年前に、夫に背中を押される形で始めました。のし袋の表書きさえできればいいと思っていましたが、その道は結構険しく未だ途上のままです。一方で予想もしていなかった教室初の書道展が催されることになり、私も作品を展示させていただくことになりました。

両親が知れば喜ぶだろうと、少し親孝行の気持ちが芽生えました。ボチボチと上達も遅いですが、最早そんなことよりも、私が少しでも練習していることを知ることが彼らにとって嬉しいことなのだろうという気がしたのでした。




美術館には車いすが備えてあるのですね、お借りして不自由なく美術館の中をめぐることができたそうです。美術館のご配慮に感謝します。


少しはいいことができたのかしらと思います。

時計はまだ手元にあります。



くにトラ  鈴木久仁子


by sacfa2018 | 2019-08-17 06:20 | 家族 | Comments(0)

不登校問題当事者であった経験からその時のこと、またこれからのことを日々綴っていきたいと思います。


by sacfa2018