似たもの同士【33】〜1年目はこれくらい〜
2019年 07月 26日
トラブルが全くなかったわけではありませんが、まあまあ順調な滑り出しに見えました。
しかし、飛ばし過ぎれば息が切れます。
夏になってくたびれかけたところにやってきた模擬試験。
なんと次男は途中で引き上げて帰ってきたのでした。
「わからない、解けない。こんなんで試験受けても意味がない。」
と言うのでした。
なぜ模擬試験を受けるのか意味がわかってないよ…と私はガックリ肩を落としました。
試験を受けて自分がどのくらい実力があるのかをはかるのが模擬試験でしょうよ…
しかし、完璧主義傾向のある彼にとっては、わからないのにここに座っている意味はないのでした。
いろいろ葛藤を抱えながらやっているなあ、と私は見ていました。
2年計画なんだからそのうちどうにかやっていくだろう、と腹を括っていたのです。
私は、彼が幼い頃の、この子はおもしろい子だなあと思っていた感覚が蘇ってきていました。
この年の11月、次男が高卒認定試験を受けるために物理を教えてくれた私の父、彼の祖父が、亡くなりました。
(父と次男の話は【25】に書いています。)
葬儀のために一緒に宮崎まで行き、それから福岡に戻って、ひと月ほど彼は予備校に行きませんでした。
結局、この年は3分の1くらいの出席率だったでしょうか。
模擬試験を最後まで受けたことも一度もありませんでした。
つまり、予備校としてはデータがないわけで、受験への助言の仕様もなかったのでした。
それでも、受験に慣れるために福岡で実施される私大の試験を2つ受けることにしました。
1つ目、次男は、準備ができていないなどとブツブツ言ってドタキャンしようとしたので、私は
「ドタキャンするなら受験料返してよね〜35000円」と声をかけました。
すると彼は私の金払え発言に憤慨しながら受験に出かけました。
あら、行ったじゃん…ごちゃごちゃ言わずに初めから行けばいいものを…
そんな状況で駆けつけ受験をしてまともにできるわけがなく、その試験は落ちました。
その数日後のもう一つの方は、前回のドタバタ受験が経験値になったのか、会場がわりと近かったこともあり、平常心で受けに行きました。
これがまさかの合格。
通していただき、自信になりました。
こんな感じで1年目は終わりましたが、振り返ってみれば、親子ともども成長しているのでした。
何事も経験、経験。
しょこトラ 水元晶子
〜明日に続きます〜
【1】〜【32】はカテゴリ「回想記」の中にあるので、よろしければご覧ください。