電化製品には耳があって、悪口を言うと壊れるらしい。私も経験があるからあまり言いたくないが、愛用のPCがそろそろかな、という感じ。とても気に入っているのでまだまだ頑張ってほしいのだが、さて、どうだろう。
このPC、購入したのは6年前。娘が不登校になった頃、まだ携帯もスマホも持たせていなかったので、私のPCを使ってありあまる時間を費やしていたのだが、そのPCの調子が悪くなったので新しく買ったのが今のもの。私用に買ったのに、結局使っていたのは娘。その間私は調子が悪くなっていたPCを知人にメンテナンスしてもらい、何とか使い続けていた。
当時は本当に色々買わされた。洋服、本、外食、習い事…、この際要求可能なことは全部やっておこうという勢い。中学を卒業したと同時にスマホ購入。不登校になって一年後には海外旅行からの留学。やりたい放題である。やれやれ…。
と思っていたのだが、ある日、私は気がついた。娘の要求は絶妙な状況判断に基づいている。どの要求も、「絶対ムリ」という難題ではない。簡単ではないけど、ちょっと頑張ったらしてやれるかも、というラインの要求ばかりだ。
試されてる?
娘にそんな意識はなかったと思う。ただ純粋に欲しいものを手に入れようとしていただけだろう。でも、それならもっともっと高価な何かをねだってもいいはずだ。でも娘はそんなことは一言も言わず、わが家の経済力でギリいける、という範囲のものを要求し続けた。それは、娘が私たち夫婦の娘への愛を確認する手段だったのではないかとある時気づいた。
愛は金銭と兌換できない。たしかにそうだ。でも何かのきっかけで、自己肯定観が下がっている子どもには、自分にかけてくれる金銭的価値の大きさがそのまま自分の価値として認識されてしまうのだろう。単なるわがままとは違うのかもしれない。
要求全てに応じた訳ではない。無理なことは、いったん聞きいれて、そうしてあげたいけれど今はできないことをきちんと説明した。買わされるわれわれも大変だったが、試し行動をせずにはいられなかった娘も辛かったと思う。
いつまで続くのかと思っていたこの試し行動もいつの間にかおさまった。何がきっかけだったのかはわからない。娘の中で納得できる何かがあったのだろう。
大学進学とともに、件のPCはようやく私の元に戻ってきた。娘は大学指定のものを購入しなければならなかったのだ。その時の娘の「色々負担かけてごめんね。ありがとう。」という言葉を聞いた驚きは一生忘れない。
さなトラ 藤野早苗
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