昔々の凸凹記憶から
2019年 05月 14日
お話を読んで思ったことを書きなさいという宿題が出ました。感想文ですね。
私はそこで、「よしっ」とばかりに、疑問点を書き並べたのでした。
「なぜここでこの子はこんなことをしたんですか?」
「どうしてここでこの人がやってきたんですか?」などなど。
何のお話だったか覚えていませんが、10個くらい書き並べたと思います。
先生から「わからなかったことじゃなくて、どうおもったのかかきましょう」のようなコメントが返ってきたことを覚えています。
先生の当惑された感じが伝わってきました。
(そのノートの映像が脳裏に浮かぶのですよ今でも…強烈な印象だったんですね。幼い私には。)
先生の言うその違いがまたよくわからなくて、「だから思ったこと書いたんだけどなー」と不思議な気持ちになりました。
赤ペンで書かれたノートを親に見せて、そこで「質問じゃなくて、自分がどんな気持ちになったかを書く」ことをなんとなく納得させられた記憶があります。
普通はおそらく「よかったね」とか「かわいそう」とかが感想として書かれるのでしょう。
しかし私は、登場人物たちの行動や状況の方に意識が集中していて、それらが気になって気になって仕方がなかったのだと思います。
この時に「感想文」とは、お話を読んで自分の気持ちが動いたことを書いたり、登場人物たちの心情を想像したりするものなのだな、ということを学んだわけです。
みんなが素通りするところに立ち止まってしまう子がいます。
立ち止まっていることに、周りの大人が気づいてあげられるといいですね。
私は、何やってんだよ、とは言われなかった。
ここはこう考えるんだよ、と教えてもらえたからよかった。
失敗をたくさんしながらでも、困るところは修正しながら、学んでいけばいいよね。
そのためには、周りの大人に余裕がないとね。いろいろな意味で。
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