わが家には猫が二匹いる。一匹はシルバータビー柄の脚長マンチカン(なので一見アメリカンショートヘア)のうづ。もう一匹は白黒の長毛、雑種のニコラ。ともに8歳。
うづは通りかかったペットショップですでに他の猫より一回り大きくなってしまっており、ちょっと危ない感じがしたし、本猫もそれを察知していたのか、娘に猛アピールしてきたので、連れ帰らざるを得ず、とうとううちの子になった。
一方、ニコラを連れてきたのもやはり娘。夏の夜、駐車場の隅に正体不明の生き物がうずくまっていて、見つけた娘がとりあえず助けなければ、と連れ帰った。手のひらに乗るくらい小さく、腹部は多分烏の嘴に刺されたらしい傷があり、猫風邪のせいで、目も鼻も粘液で潰れて呼吸も難しい様子だった。多分猫だよね、ということで、うづのご飯を与えたけれど食べない。明日、朝になったら、病院に連れて行こうということでなんとかその夜を過ごした。明朝、かかりつけの獣医さんに連れて行くと、そのまま入院。保温器の中で点滴治療を受けながら一週間。助かるかどうかわからない、と言われていた猫は見事に元気になった。汚れていた毛並みもきれいになり、長毛種の血を引いていることがわかった。夏の夜のプレゼントだから、セント・ニクラウスから名前をいただき、ニコラ。猫風邪にやられて、左目はあまり見えてないようだが、生きていればいい。結局この子もうちの子になった。
猫は恩を三日で忘れるとは、巷間まことしやかに囁かれることであるが、一緒に暮らしてみるとそれは間違いだとわかる。猫の共感能力はきわめて高い。自分を大切にしてくれる存在が悲しんでいたり、辛そうだったりすると、その気配を察してそっと寄り添ってくれる。暖かなふわふわの被毛でささくれた気持ちを癒してくれる。頭ではなくお尻を突き出すのは、猫としては最高のおもてなし。どうぞお撫でなさい、私はあなたのことを全面的に信頼していますからね、の意味のノンバーバルコミュニケーションなのだ。
娘は結局、中学校の最後の最後で不登校になったのだが、もし、猫がいなかったら、もっと早くにそうなっていたかもしれない。娘が学校に行かず、うちにいる時も、猫たちが緩衝材になってくれた。猫にかこつけて、娘と話すことができたのはありがたかった。
たまに帰省した娘に、早速うづが寄り添っている。大学も東京も、娘にとってはけっこうハードルの高い場所なのだろう。帰ってくると途端に寝込む。その両脇を固めるように、二匹の猫が寄り添っていることもめずらしくない。
猫みたいに寄り添ってやることができれば。何も言わず、一緒にいるだけで安心感を与えてやることができれば。つい一言多い私は猫の寡黙な優しさがとてもうらやましい。
さなトラ 藤野早苗