アトリエぱおのこと

広島に住んでいた時のこと。
その時うちの子どもたちは小1、年中組、0歳だった。
ある日、新聞の手描きの折り込みチラシに目が留まった。
我が家の近くでオープンする造形教室のチラシだった。
教室の名前は「アトリエぱお」。
手描きのチラシはなんだかとてもわくわく楽しそうな感じがして、これは行ってみなければ、と赤ちゃんの次男を抱っこして、上の2人を連れて体験に行った。
住宅街の中のアトリエに行くと、30代前半の元気な男の先生と笑顔の素敵な奥様が迎えてくださった。
加藤宇章先生と溝尻雅子先生。雅子先生はピアノを教えていらして、アトリエぱおは美術と音楽両方の教室だった。

その時子どもたちに描かせていたのは、ホルン。
「こんな音がするんだよ〜」と先生が顔を真っ赤にしてプーと鳴らすと、子どもたちがわーっと笑った。
なんて嬉しそうな、楽しそうな顔だろう。

東京芸大卒の先生が子どもたちに使わせる画材はいわゆる「子ども用」ではなくて、美術を学ぶためにしっかり吟味されたもの。
描くモチーフも、さまざま。
小さなできたばかりの教室は、私の知らない世界でとても素敵だった。

即座に入会を決めて帰り、それから毎週、我が子たちは楽しく教室に通った。
もともと絵を描くのが大好きな子どもたち、アトリエの自由な空間でのびのびと制作し、その後の満足気な笑顔を見るのが私はとても嬉しかった。

教室の展覧会では、子どもたちの作品をきちんと額装して展示。一人ひとりが小さいながらもアーティストなのだという、先生方の真摯な姿勢が表されていた。

アトリエ初の展覧会の時、私は作品のキャプションを手書きで書かせていただいた。その時言われたのが「入会申込書の字がとてもいいと思ったのでお願いできませんか?」ということだった。
私はその時、自分のことを「あなたはいい人だよね!」と言われたような気がした。
アトリエぱおでは、子どもだけでなく、親の私の自己肯定感をも上げていただいたのだった。

先生方は広島出身ではないが、平和を希求する自分たちの拠点にするのは被爆地広島で、という強い気持ちで広島市内にアトリエを構えられたのだという。
どこで、何をして生きていくのか、信念を持って行動する姿に私は圧倒された。
その頃私は子育てで精一杯で、自分の半径5メートルくらいでしか物事を考えられなかった。
しなやかで、自由で、しかし確固とした信念を持つ人たちとの衝撃の出会いであった。

夫の転勤で広島を離れるまで、わずか2年ほどの間だったが、アトリエぱおには本当にお世話になった。
あんな素敵な教室はたぶん日本には片手で数えるくらいしかないだろう。

あれから20年以上経って、アトリエぱおは広島で大発展を遂げて、子どもから大人まで何百人もの生徒さんがいる造形教育研究所になっている。
数年前、家族で展覧会におじゃました。
私たちがいた頃とは規模がまるで違う展覧会で、それはもう驚きだった。
そこに並ぶ作品の楽しさ、見にきている家族の笑顔はあの頃と変わらないどころかますますパワーアップしていた。
こんなにたくさんの子どもたちが、家族が、美術を通して自分を表現することを楽しんでいる。
そして広島から美術という手段で平和を発信している。感動的な空間だった。

「ぱおの黎明期を支えてくれたご家族がわざわざ福岡から来てくれました〜」と加藤先生が現役の生徒さんたちに私たちを紹介され、ええーと嬉し恥ずかしだった。
そうか、本当だ、今の規模からしたら黎明期だったんだなあ。そこに参加できていたことが改めて幸せだと思う。

リスペクトしつつご縁に感謝である。

転居先が埼玉だったので、そこで子どもたちは加藤先生から紹介された造形教室に行くことになった。
そこで出会った先生とこれまた長いご縁が続いている。
こちらの話はまた改めて。
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しょこトラ 水元晶子

年に一度の「アトリエぱおの仲間たち展」は、広島市アステールプラザで11月14日〜18日に開催されます。行きたいなあ〜

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by sacfa2018 | 2018-11-10 07:33 | 出会い | Comments(0)

不登校問題当事者であった経験からその時のこと、またこれからのことを日々綴っていきたいと思います。


by sacfa2018
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