昨日、10月28日、校区の人権尊重推進協議会の講演会に参加。
講師は、立花高校の斎藤眞人校長。演題は、「いいんだよ、は魔法のことば〜寛容の精神が醸成される社会へ」。
立花高校は私立高校。斎藤校長は勤続14年。1学年定員450名のところ、現在は500名超を受け入れているという。その中の8割は、小中で不登校経験がある子どもたち。その現状を考えると、経営的には喜ぶべきなのだろうが、教育に関わる者としては複雑だとおっしゃったのが印象的だった。
そう、立花高校は、不登校経験者を積極的に受け入れることで有名な高校だ。受け入れるだけではない。立花高校がすごいのは、生徒のほとんどが卒業し、その後の人生を自立して歩いてるところ。その背景には、齋藤校長はじめとする立花高校の先生方という子どもたちの生きる力を信じ、伴走をしてくれる存在がある。
こんなエピソードがあった。
全校集会の時、必ず寝転がって参加する数名がいた。この場合、一般的にはどのような指導が行われるだろう?おそらく、
・起きなさい→起きろ→起きんか→起きんか、コラ→ごるぁぁ、きさん
となる可能性大。実際、立花高校でも最終形態直前までいきかけたらしいのだが、ある日、職員室でお茶を飲んでいたら、ある先生がボソリと呟いたのだそう。
「それでも、あの子たち毎回集会に参加してるんですよね。」
そうだ、そうなのだ。彼らは、まず集会に参加するという、彼らにとっては高いハードルをクリアしてきているのだ。起きていることが「できない」ことを頭ごなしに責めるより、参加「できている」ことを認めよう。そう気づいてから、子どもたちにかける言葉も変わった。寝転がっている子どもには、「起きろ」ではなく、「どうした?」。事情を、気持ちをちゃんと聞く。その上でやはり悪いことは悪いと言うと子どもたちは自らふるまいをあらためる。
私たちは、できることより、できないことが気になりがちだ。できることは当たり前のこととして見過ごしてしまう。しかし、できることを認めてもらってはじめて、自己有用感は育つ。それを育むことこそ、教育に関わる者の仕事なのではないか、と齋藤校長は考える。
そうした理念の下に育った子どもたちの優しさに溢れた数々のエピソードに涙が止まらなかった。ある生徒は、「コウチョウちゃん(齋藤校長はみんなにこう呼ばれているのだそう。笑笑)、あのね、私より、お母さんを支えてあげて。お母さん、私のことであちこちから色々言われてキツそうやけん。」
号泣!
お母さんは流れ弾に当たりやすい、とは齋藤校長の言。子どもの不登校という現実に打ちのめされている上に、その責任までも負わされる。齋藤校長が、お母さんたちにいたわりの言葉をかけると多くのお母さんが泣き崩れるのだそうだ(わかる、わかるよ)。お母さんたちも、できないことを責められてばかりだったから、頑張ったこと、できたことを認めてもらったらそれは嬉しいに違いない。しかも、そのきっかけを作ってくれたのが、不登校当事者であったわが子なのだから、喜びもひとしおだ。他者を認める「寛容の精神」が育った子どもたちの内面の豊かさに感動した。
私たち「咲くふぁ福岡」が不登校問題に関わって半年が過ぎた。その中で、学校に行くこと、再登校が不登校の解決ではないことは、再三お伝えしてきた。今もその気持ちは変わらない。子どもが学校以外の生き方を見つけて、そこに邁進するなら何よりだ。
けれど、もし、やはり学校に行きたい…、そう思ったとしたら、こんな学校があることを知っていただきたい。この子の人生を委ねられる、そんな信頼を寄せられる学校であれば、再登校全然あり、である。
コウチョウちゃん、ありがとうございました。
さなトラ 藤野早苗
当日の配布資料。書き込みすぎ。でも書き足りなかったなあ。