10/24、クィーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの自伝的映画「ボヘミアンラプソディー」の試写会に行ってきた。
クィーンファン歴42年の私。画面に映る若いフレディ(を演じるラミ・マレック)を見て感無量。14歳の頃にワープしてしまったのだった。
映画について。サウンドトラックが素晴らしい。エピソードも満載。メンバーを演じる俳優陣がしっかり脇を固めていて安心できる。
ぜひぜひ、ご覧下さい。11月9日、公開です。私はあと3回見たいです。11月24日のフレディの命日にはぜひ行きたいなあ。
とここまでは前フリ。今回、この映画を観て、実に様々なメッセージを受け取った。フレディは数多の屈折を抱えた人だった。人種(ペルシャ系・パールシー)、宗教(ゾロアスター教)、父との確執、容貌(上顎の4本の過剰歯からの反っ歯)、性的マイノリティ、HIV、ともう色々だ。
映画のワンシーンに、本名のファルーク・ばるサラを捨て、イギリス領ザンジバル生まれであることを隠し、フレディ・マーキュリーになろうとする息子を諭す父親に対して、フレディがこう言うところがある。
「僕はただのロンドン生まれの青年だ。ただそれだけだ。」
このセリフを聞いて42年来の謎が解けた。
名作「A night at the opera」 (オペラ座の夜)に収録されている1分程度の曲。すごくシュールな歌詞で面白いのだが、途中に挟まれた
I come from London town,I'm just an ordinary guy〜
(僕はロンドン生まれのごく普通の男だよ)
という歌詞が当たり前過ぎてむしろ不思議だったのだ。
様々なunordinaryを抱えたフレディだから、「普通の男だよ」と軽く言える人生に憧れたのだ。最も神に愛された稀代のボーカリストが憧れ続けた「普通」という呪縛。その呪縛と格闘し続けたフレディの言葉を紹介して、記事を閉じる。
さなトラ 藤野早苗
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