独り偕老同穴 悲しい男の物語



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私は小学生だった。もっとも義務教育なのだから何の不思議もない。唯一つ、全校生徒が200人もいるかいないかという私立校だった事を除いて。他人とコミュニケーションがうまく取れず、自分を中々要領よく表現できないまま不登校になったこと、一度は病的に(もっとも実際に病んでいたのだが)忘れようとした記憶であるし、これから語れることもそのうちのほんの断片的な事かもしれない。細部があやふやな事もあろうが、最後までお付き合い頂けると幸いである。

不登校だった期間は幾らでも考える時間があった。歴史であり政治であり、pcに向き合ってひたすら調べ続けていた。最初は特に、学校教育や不登校というものの現状についてずっと調べていた。勿論ネットだからではあるが、いや、自分は良くない立場にあると思っていたせいか、目に入る意見は大概自分の置かれている状況には否定的であった。だが、私の登校するエネルギーは当時とうにつきていた。pcの画面には、かなりお世話になってはいた。それによってインプットされていく知識は確実に人生そのものを助けてくれると信じている。だが、運動もやめ、習い事もやめ、勉強も一時的に放棄した私にとっての外部を知る媒体に、pcだけを持ってきた事は今でも後悔している。そう、全てが自分を否定しているように感じるのだ。


その精神を辛うじて救っていたのは、俳句と様々な知識を表面上でも詰め込んで思考にふけることだった。俳句は、小学校3年の頃に担任の専門であったため、最初はカリキュラムに含まれていたものだった。当初になぜ興味を持ちだしたか今でも不思議だが、その表現法に心が動いていった。俳句の制作に没頭した時期も勿論あったが、なかなか上手く伝えたい事が伝えられていない葛藤が滲み出ている。だが、やはり一番に没頭したのは学校教育と自分との折り合いを点見つけるために様々に考えを巡らせる事だった。日々pcに向かい、と恰好をつけてもゲームをするか、調べるか、の状態であったが。そのような形で出席せずに卒業を迎えた。

                            (つづく)


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by sacfa2018 | 2018-07-17 00:03 | 不登校 | Comments(0)

不登校問題当事者であった経験からその時のこと、またこれからのことを日々綴っていきたいと思います。


by sacfa2018